Chassis Report 2.TA−04 “いろんな出会いをくれたクルマ”(2000年6月シェイクダウン)

ラジコンを初めて2年、それまでTA03一筋だったシンタローに、結構大きな転機が訪れます。
そうです、ついにタミヤがTA04をリリース
2ベルト+WデッキシャーシのCAD画像をネットで見つけた瞬間、俺は確信しました。

あ、俺このクルマ買うわ(爆)

発売日決定と同時に、チャンプで速攻予約ですよ(笑)
しかも、04の発売した週末に開催されるチャンプ・みんなのレースのWデッキクラスに「TA−04PRO」って書いてエントリーしちゃいました俺。バカです(^^ゞ
(確か04プロは木曜日に発売でした/笑)

まあ、もう一人俺とタメはるくらいのおバカさんがいたんですが(笑)
●om−Hさんという方なんですが(核爆)

そして木曜日、学校帰りにチャンプに直行、高校の制服のまま引き取りに行きました(^^)
もちろん木曜日は睡眠時間思いっきり削って作業、金曜も寝る間を削ってなんとか組み上げて、土曜日学校から帰ってきてすぐにチャンプに持って行ってシェイクダウン!

シェイクダウンの感想は、5年以上たった今でも鮮明に覚えてます。

なんってったって「タミヤのクルマなのに走ってるときに音がしない!」ですから(笑)

その時は、次の日にスポーツチューンつかってレースするから、それよりちょっとだけ速いモーターつけてちゃんと走れれば問題ないやろ、という安易な考えでダイナラン・ストックをつけて走らせました。
(ダイナランストックって名前、久々に聞きましたね/笑)
しかも、今考えたら絶対にキャンバーもリバウンドもちゃんと調整できてない状態だったのに、ちゃんと走ってしまったんですよ。
もうその当時の俺は無邪気に上機嫌です(^^ゞ
「調子のいいときは触るな」というジャジャ○師匠の名言に従って、なんにも触らずにさっさと寝ました。

そして翌日、いきなりのデビューレースです。
さすがに「発売して3日のTA04」のまわりにはけっこう人だかりができましたね。すげえ気分よかったです(笑)

走らせてるときも、「ああ、あれが04か!音がしてない!」とか操縦台の下から聞こえてくるのが無性にうれしかったです。もう2度とできない経験です(^^ゞ

そして、レースのほうでは、もう一人のTA04のTom−H選手と同じ予選組になりました(笑)
しかも、1ヒート目ではTom−H選手がトップゴール、2ヒート目は俺がトップゴールという、どう考えてもでき過ぎなレースができました。
もちろん2台ともAメインに残り、しかも俺に至っては、タミヤ世界戦経験者の大山選手とtakashiさんの間に割って入る予選2番手をゲットしてしまいました。

で、決勝ですが、言わなくてもわかると思いますけど、もうアガりまくりですヽ(´▽`)/
そしてスタート!そして1コーナーでミス!(爆)最後尾へ(・_・;)

そこで、正直「もう終わったわ」と思った俺は、なぜか急に気が楽になって、その後の6分間、全くミスすることなく走り切り、気がついたら3位でゴールしていました(^^ゞ
(さすがに上記の2選手には追いつきませんでしたが(^^ゞ)

でも、この時のTA04のスペックって、スパー120Tピニオン40T(キット付属)のギヤ比6.4:1、ワンウェイなんか出てないから前後ボールデフ+センターもリジッドのフルタイム4WDだったんですよね。
それでもギヤ比自由のTA03のフルオプ仕様とか、ショートサスアームのTB01Wデッキとかと互角に戦えたんですから、今考えてみても、やっぱりTA04って高いポテンシャル持ってたんですねえ。

そんなわけで、今に至るまでシンタローのお気に入りになってるTA04のデビューレースは、こんなレースだったのでした(^^)


シンタローにとって初のコンデレをゲットしたセレッソ・GTR。
ちなみにすべて缶スプレー塗装で、屋根の「CEREZO」の文字はレタリングで直書きという今考えたらよう頑張って塗ってたなあと思います(笑)
エアブラシ無くてもコンデレは取れる!というのを目標にしてこの当時は頑張って塗ってましたね。
今考えたらこのときのほうが気合入れて塗ってたのかなあ。あんまりこういうこと書くとかずまとかセイタローがおこりそうだ(爆)


さらにこの年の10月にはフェラーリモデナのボディを乗せたバスタブシャーシ仕様のTA04がデビュー。
シンタローの快走を見たセイタローもTA04に乗換えを決意し、このときは半分ずつ持つ形で2人で購入しました。
そして、11月のみんなのレースではセットの熟成はまだまだながらも唯一Aメインに残り(ドライブはシンタロー)、終わってみれば4位入賞というまずまずのデビューレースでした。

さらに、この勢いのまんま行った11月のタミヤGP近鉄ハーツのジュニアクラスでは、セイタローがなんとポールポジションを獲得。
(しかもこの日はシンタロー・セイタロー2台揃いのカラーだったのもあってラッキーなコンデレ獲得、シンタローも予選3位といいこと尽くしの一日でしたね。)
決勝はやっぱり焦りと緊張からミス連発で4位と奮いませんでしたが、ジュニアクラスで5〜6位の盾はたくさん持ってたもののトップ争いをするところまでは行ってなかったセイタローにとっては、自分の転機になったレースだったと思います。(ちなみにこのレースで勝ったのが今をときめくゆっこ師匠(笑)だったりするからおもろいんですよね/笑)


タミヤGPでセイタローが初優勝したときのTA04。
カラーリングがナメてんのか、て言う感じになってますが気にすんな。
ちなみにこのレースをコースサイドで見てたかずま(このときまだシンタロー・セイタローと出会う前)が「いつかあんなレースがしてみたい」
とか言ったとか言ってないとか(笑)

セイタローはその翌年の3月のジュニアクラスでもTQを獲りながらも自滅で2位と結局ジュニアクラスでは勝てなかったものの、さらにその翌年・2003年3月のタミヤGP神戸のフェラーリワンメイククラスで予選2位からなんと優勝。しかもスタートでカマ掘られてドンケツからの追い上げでラストラップでの逆転というよくわからないながらも念願のタミヤGP初優勝でした。

その後、今や我がTeam S.Eのエースにまで成長したかずまとおとーさんとも出会い(チャンプレースに来てたときにこっちから無理矢理話しかけました/笑)、このTA04がセッティングの教習車的な存在になってくれました。
この年の11月にはかずまがタミヤチャレンジinチャンプのN1クラス、チャンプ月例最終戦N1クラスで優勝!今思えばこのあたりから「チームSE」としての活動って始まったのかな、て気がします。

2004年にはまつけん氏もTA04でタミチャレinチャンプで準優勝し、かずまと2人でタミヤGP・N1クラスの大阪大会代表を狙いましたが無念の雨により中止。

そして2005年、満を持して臨んだ神戸でのタミヤGP関西予選で、みごとにかずまが優勝、チームSEとしては初の代表権を獲得し、その後の世界戦での活躍はもう知っての通りです。

僕らTeam S.Eにとって、TA04はこのクルマが無ければ今のチーム関係は無かったんじゃないかな、とも呼べるような車だと思います。

おっ、なんかいい話っぽくなったな(^^)


はい、これで台無し(爆)

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