Chassis Report 1.TA−03 “ラジコンを教えてくれたクルマ”(1998年3月シェイクダウン)

ということで、長らくほったらかしでしたが、ちょくちょく復活させてこうと思いますこのシャーシレポのコーナー。
大幅にリニューアルして一話完結みたいな感じでやってこうかとおもいます。

第一話はやっぱりコレしかないでしょう!
わたくしシンタロー、そしてセイタローがまず最初に手にしたRCカー、TA03です。

中学3年の夏過ぎくらいから、某カワナカと「卒業したらラジコン買うぞ」というてた俺は、公立高校のテストの翌日、我慢しきれず地元の模型店へ爆走(笑)
数年分のお年玉をTA03RS・ポルシェ911GT1へと交換に行ったわけです。
今思えば、これからずーっとラジにどっぷりだったわけですね。

このころは春休みだったというのもあって、大急ぎで組み立てて、毎日屋上で走らせてました。
そして速攻で4月のタミヤGPのルーキークラスにエントリー。


ほんまの初心者しか来るはずがない。なぜならルーキークラス

だから大丈夫。無問題。


みたいな痛々しい考えでいったところ、1ヒート目でいきなり車を壊してリタイヤ。
スペアパーツもない中、お隣でピットを広げてたSさんがパーツを分けてくれたおかげで2ヒート目には出走できたものの、なんと下から5番という目も当てられないような結果でした(笑)

しかーし、負けてられるか!
とバカなほうへ考えを進めた俺は、タミヤRCカーズのオススメにしたがってこのTA03RSをノーマルホイールベースのTA03Rへとコンバート。
ボディはこのとき日本初のルマン3位表彰台をゲットしたニッサンR390GT1の23号車をカラーリングまで再現(クソ下手な塗り方でしたが)してご機嫌で毎日屋上を走る毎日でした。

夏休みは月〜金は毎日バイトだったのでほとんど平日は練習できなかったものの、週末は相変わらず灼熱の屋上で練習。
お盆に御殿場に帰省したときには近くの「一笑堂」(いまもあるのかなあ)というサーキットに行って走らせたりもしました。
プロポもメガテックジュニアからその当時出たばっかりだった3PKスーパーに変更、サーボも3003から9404に変えて装備だけは着々と整っていきました。

で、いよいよ望んだ9月のタミヤグランプリin近鉄ハーツ!しかも全日本選手権N1クラス!


・・・50位/130人中

Orz


今考えたら、このときのレベルからみてN1の50番くらいだったら上出来(昔はほんまにN1が最激戦区だった)なんですが、コレに納得できなかった俺はついに暴挙に出ました(笑)

ラファールRTBBSに書き込み


カキコ後、ほんまにウザい教えて君の高校生だった俺を皆様は優しく迎えてくださって、その後はほぼ毎日のように「ラファールチャット」にていろんなことを教えてもらってました。
そして、とんとん拍子で「チャンプ来たことあるんやったら一回一緒に走ろう!」というお話が進み、ついに走行会へ参加。


ええ、その後はまあ多くの皆さんと同じようにハマり倒したわけです。

この走行会をきっかけに当時チャンプで行われていたタミヤワンメーク・みんなのレースのバスタブクラス(2005年まで月例でもやってたN1クラスの前身)に参加スタート。
当時タミヤGP会場で知り合った高校生同士で「チームRF」というチームをつくってやってたんですが、そのメンバーも強制的に誘って参加。
99年6月開催の初めてのチャンプレースではCメイン2位だったと思います。ちなみにセイタローがCメイン3位(笑)
このころセイタローはシンタローの03Rのあまりパーツで組み上げられたTA03F(最近ドリ車として復刻しましたね)でしたねえ。とにかく曲がらんやつ(笑)

その後、7月のタミヤGP海遊館・ルーキークラスでは予選2回ともヒートトップを取れて、予選総合では4位。初のAメインではスタート直後にトップに立つものの緊張から自爆(^^ゞ結局最終的には6位でレースを終えたものの、初の「6位入賞」と刻印された盾をゲットして、ますますはまり込むのでした(笑)

その後、9月のみんなのレースではバスタブクラスBメイン、タミヤGP全日本(近鉄ハーツ)ではスポーツチューン使用のGT2クラスで36位と徐々に上達の気配を感じるようになってきました。
このころようやく

そして11月、修学旅行明けのみんなのレース最終戦・バスタブクラス。
エントリー数は11人とこの年最少だったのですが、なんとここでポールを取ってしまいました。

そして決勝では、スタートで2番手以下が絡んだのもあって逃げる展開、しかしコース中央で裏向いてしまい2番手に、しかしラストラップでトップのYさんがミスして再逆転!という結果で初優勝を飾ってしまいました。
そしてさらにハマるハマる(^^ゞ
(このへんのレースレポがブンさんのレポートでラファールに残ってます。めちゃめちゃおもろいのでぜひ一回目を通してみてください。ちなみに本文のレースレポは99〜2000年シーズンあたりです。)

翌年にはタミヤ・RCカーズにも取材されて掲載されたり、5月のみんなのレースで2回目のポールtoWinで2勝目といい時期が続きました。
その後、TA04登場とともにメインカーではなくなりましたが、今度はラリーマシンとして活躍。

TA03Rにセミスリックタイヤとインプレッサのボディを乗せて出場した、9月のタミヤGP近鉄ハーツ・エンジンミーティングで同時開催されたラリークラスではBメイン優勝、同じく近鉄ハーツの11月のレースでは予選3位、決勝6位とまたまた盾を獲得。
さらに速さを求めて03RをショートホイールベースのTA03RS(ボディはカローラ)にコンバートした翌年は、浪人生になりながらも参加した(爆)10月の代表権がかかったラリークラスでは上位3名が静岡行きの権利をもらえる、という最大のチャンスがありながらも4位。なんっでやねーん、見たいな感じで凹みましたが、このときは予備校生という立場上たとえ勝っても世界戦には参加不可が確定してたので、翌年に向けて気持ちを入れ替えました。

この後、ラリー車はTB01になり、前哨戦のタミヤGPを圧勝して10月のラリークラスに出る…はずが抽選落ちしたのでこのTA03RSをたなぶんさんにレンタルしたところ、全車ラップで優勝しはりました(^^ゞ(その後たなぶんさんは世界戦本番でも3位入賞。)

と、ここまでが「シンタローとセイタローにRCカーを教えてくれたクルマ」TA03のレース戦跡です。
今考えたらありえないような作りなんですが、最初のラジコンが03でほんまによかったんではないかと。
数え切れない完バラとパーツ交換を繰り返してラジ整備の基礎を学んだのではないかと(笑)

そんなこんなで、今振り返ってみるといい思い出だらけのTA03は、今も実家で大切に保管されているのでした。

なんだ、この「今日のわんこ」みたいな締めは(爆)

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